2025/08/29 20:19

-1980年代前半
ニューヨーク大学の学生寮で
音楽界とファッション界の運命を変えることになる出会いが起こりました。

一人はユダヤ系の音楽オタクな大学生、リックルービン。
もう一人は黒人のパーティープロモーター、ラッセルシモンズ。

この二人が握手を交わした瞬間から
HIPHOPは単なる音楽ジャンルから
"ライフスタイル"へと進化を始めたんです。

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~革命の始まり-学生寮で生まれたレーベル~


-時は1984年、NYUの学生寮ウェインライト・ホール

リックルービンは典型的な音楽オタク大学生。
ヘヴィメタルからパンク、そしてHIPHOPまで、
ジャンルを問わず良い音楽に飢えていた青年でした。

彼には他の音楽オタクと決定的に違うものがありました。

それは
"音楽を作りたい"という衝動と
"今あるレコード会社は全然わかってない"
という確信です。

そんなリックは
NYのHIPHOPシーンで既に名の知れたプロモーター
ラッセルシモンズに出会います。

ラッセルは既にカーティスブロウ、RUN-DMCなどの
マネジメントを手がけていました。

「俺たちでレーベルを作ろう」


この一言からDef Jam Recordingsが誕生しました。

Defは当時のスラングで最高、クールという意味。
Jamは音楽セッション、パーティーという意味。

最高にクールな音楽”と名付けられたこのレーベルは
キング・オブ・ヒップホップと言っても過言でないほど
大きな影響力を持つ会社に成長し
HIPHOPシーンの発展に大きく貢献していくことになるのです-

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~最初のスター誕生-LL COOL J革命~


-1984年、デフジャムの元に1本のデモテープが届きます。
送り主は16歳の高校生、ジェームズトッドスミス。
彼こそ後の"LL COOL J"です🔥

"I Need a Beat"を聞いたリックは即座に成功を確信しすぐに契約。

1985年にファーストアルバム"Radio"をリリースします。

このアルバムは最初の5ヶ月で50万枚以上を売り上げ
1989年までに100万枚を突破してプラチナ認定を受けました。
当時のHIPHOPアルバムとしては驚異的な売上です👏

しかしLL COOL Jの革新は音楽だけではありません。

彼のファッションセンスが
HIPHOPファッションの新しいスタンダードを作ったんです。
RUN-DMCと同じくアディダスジャージカンゴルハットを身につけ、
ムキムキに仕上がった肉体
ゴールドのチェーンやリングなど派手なジュエリー。

そして社会への怒りや反骨心を宿した強い眼差し。

ラッパー=ジュエリーという方程式を作り上げ
HIPHOPアーティストはこうあるべき!
という新しいイメージを確立しました✨

あんまりHIPHOPに詳しくない方が想像する
ラッパー像がここで完成したのです👏

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~白人少年たちの参入 - Beastie Boysという衝撃~


LL COOL Jがデフジャムにデモテープを送った1984年-
時を同じくしてリックに出会った3人の少年がいました。

マイケル・ダイアモンド "マイクD"
アダム・ヤウク "MCA"
アダム・ホロヴィッツ "アドロック"

そう!
Beastie Boysです!
元々は"The Young Aborigines"というパンクバンドでしたが
HIPHOPの魅力に取り憑かれ、ジャンルチェンジを決意します。

1986年にリリースされた"Licensed to Ill"

このアルバムは史上初めて
Billboard 200チャートで1位を獲得したラップアルバムとなり

最終的に1000万枚以上を売り上げて
2015年にダイアモンド認定を受けました👏

そんな彼らが持ち込んだ革命的な要素は
RUN-DMCが"Walk This Way"でやったように

"異なる文化の壁をぶっ壊すこと"💣💥

音楽面ではパンクロックとHIPHOPを融合させ、

ファッションでは
スケボーシューズ、ルーズな太いパンツ
ベースボールキャップなどの要素を取り入れながら

ラルフローレンのシャツ、NikeやAdidasのスニーカー
THRASHERのTシャツなど
高級ブランドとストリートウェアを自由にミックス。

そしてライフスタイルでは郊外の白人と都市部の黒人文化を融合させました。
音楽でサンプリングを多用していた彼らは
ファッションや生き方でも"サンプリング"を実践!

様々なブランド、様々なカルチャーのアイテムを自由に組み合わせる
新しいスタイルを提示したんです。

この"何でもあり精神"
後のストリートファッションの自由度を飛躍的に高めていきました✅

今、街で見かけるような
ストリートファッションのルーツはここにあるでしょう。

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~デフジャムが作った現代ファッションの"当たり前"~


デフジャムは単なる音楽レーベルを超えて
ライフスタイルブランドの先駆けとなりました。

シンプルで力強いロゴ、白黒写真を基調としたアートワーク
そして所属アーティストのスタイリングまで
すべてが計算されたビジュアル戦略でした。

従来の音楽業界が"売れるように加工する"中
デフジャムは"ありのままを世界に広める"戦略を取りました。

結果として
本物のストリートカルチャーの価値を損なうことなく
商業的成功を収め、HIPHOPファッションが
世界中に広まっていったのです。

LL COOL JやRun-D.M.C.が始めた
"スニーカー=ファッション"は
現在のスニーカーブームの基礎であり

Beastie Boysが始めた
"高級ブランド×ストリートウェア"は
現在のハイ・ストリートファッションそのもの。

L COOL Jが確立した
"ラッパー=スタイルリーダー"という概念は

現在のKanye WestやTravis Scott、
日本人だとT-Pablowまで続いており

"何でも自由に組み合わせてOK"という精神は
現在のストリートファッションの基本思想でしょう。
-1984年
リックルービンとラッセルシモンズが握手を交わしたあの瞬間から
音楽とファッションの境界線は曖昧になり
ストリートカルチャーは世界中に広がっていきました。

LL COOL Jのカンゴルハット
Beastie Boysのミックススタイル
Run-D.M.C.のアディダス愛。

これらすべてが現在の私たちのファッション感覚に影響を与えています。

今度街でスニーカーを履いている人を見かけたとき、
ブランドをミックスしたコーデをしている人を見つけたとき、
ちょっと思い出してみてください。

その"当たり前"の始まりは
40年前のデフジャムにあったということを。

音楽×ファッション、カルチャー×商業、ストリート×メインストリーム。

すべての境界線を溶かした
デフジャムの革命は今も続いているのです-